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旅日記
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教会としてそのたたずまいをもう一度考えてほしいと思うような建物を多々見る。
これは誰がそうさせるのか?もちろん最終的に建物を管理する側にその責任があるのだろうが、まず、文化としての建物の位置づけをしっかりと認識したいものだ。 悲惨な教会の一例として、札幌では宮の森にある教会だ。ステンドグラスが立派な由緒あるものだそうだが、その建物はあまりにも教会と呼ぶには俗な建築物だ。壁の一部はまさに港の倉庫の壁と一緒で、なんで突然こんなデザインになるんだろうと理解に苦しむ。 東京ではある漫画家が赤白ボーダーの家を建てることに反対されているらしいが、当たり前だろう。自分の家だから自分で気に入ったデザインにして何が悪い?と思うのはよくわかるが、それが周りへもたらす影響もちゃんと責任を持つべきである。 またいつだったか、京都で景観を損ねるような建物に規制を設けるというニュースを見た。ある夫婦は南フランス調の建物を希望と言うことで計画していたが、それがだめになるらしい。そもそも、京都という日本を代表する古都で南フランス調の家がほしいとはどんな発想なのか、住む場所を変えた方がいい。 建物がそこに住む人間に与える影響は計り知れない物がある。たとえ通りかかりの旅行者であったとしても建物はそこの文化を表していると肌身で感じるものだ。 つい先頃まで流行った、田舎に突如現れるテーマパーク。その中身には驚かされる物が多い。芦別市のカナディアンワールドもその一つだろう。なんでこんなところに「赤毛のアン」がテーマなのか。こういう発想は完全に内向きなもので、ここを外国人が訪れたらなんと思うだろうか?地元の人にとっても決して自慢して案内できるところではないだろう。こういう発想の行き着く先は内輪だけの満足を呼ぶ展開で、将来への希望をどこに感じたらいいのかわからない。事実、これらで成功した物はないだろう。ハウステンボスもこの例に漏れないと思う。 我々はわざわざまがいものをここで体験したいと思うほど鎖国状態にはない。 ステンドグラスの荘厳さも歴史とそれを支えてきたその地域の文化があってこそ価値があるはずだ。それをそっくり持ってきてステンドグラスを眺める内部だけきれいに化粧して、表は一応体裁だけはなんとか整えればよいという風潮にはっきりと「NO」と言いたい。 こういうのは文化にはなり得ない。レベルとして赤白ボーダーの家と同じである。そこでは反対する住人がいるだけでもまだましで、ここにはそのような反論がないのが最悪だ。 もう一つ、教会を取り上げると神宮裏参道の角にある教会。 もともとは円形と矩形を組み合わせたモダンな建築であった。なかなかよい建物で気に入っていたが、いつの日かその入口にはバロック?ロココ?はたまたギリシャ神殿風?とでも言うのだろうか西洋風のアーケード屋根がついた。これもそのセンスを疑う。 このようなセンスを建築家達はどのように了解したのだろうか?せっかくの建物が台無しであるし。このような建築物は後生になっても文化とは呼べない。 そういう俗悪な建築物の中で生活していると自分の様々な文化に対する感覚が麻痺するのではないかと思うぐらいだ。中国では各地のテーマパークがメディアでさんざん取り上げられている。それらのほとんどはディズニーや日本のアニメなどのキャラクターを模倣した物を無断で使う、いわゆる「パクリランド」「パクリパーク」だ。ここにあるものは偽物だとわかっていてみんなが楽しむ。そして、ここで楽しんで何が悪いのかと主張する。 この文化レベルは全く同じレベルではないか。 建物としての脈絡も何もない物を建てて何となく今風の喜ばれる好みと雰囲気だけでよしとするそのセンス。あまりにも世間に迎合しすぎる文化レベル。それが今こういう形で教会という一番対角線上にあるような物に押しつけられるのは何とも皮肉だし、我々の文化レベルを最も良く示す街の風景になっている。 PR トレドにはエル・グレコの墓がある。Santo Domingo el Antiguoという修道院の地下に彼は眠っている。
マドリードからトレドまでは列車で約1時間ほどだっただろうか?そんなに遠くなかったことだけ覚えている。トレドの駅が終点だったはずだ、そこで列車を降り、いわゆる街の中心地まで行く手前で川がある。タホ川だ。川の色は深いビリジアンで、たまたまそのときにその色だったのかどうか、一見、ディズニーランドの着色したアメリカ川のような作り物の色に見えた。しかしこの色はそんな作り物ではない。それはN.Y.メトロポリタンで何度となく見ていた「トレド風景」の川の色とまさにそっくりだった。 N.Y.メトロポリタン美術館にはグレコの絵が5〜6点ほどあったと思うが、その中でも一番好きなのは「トレド風景」だ。グレコには2点の風景画があるといわれている。1点はメトロポリタンにあるもので、もう1点はこのトレドの「グレコの家」にある。それをぜひみたいと思い訪れたのだ。 川の向こう側にはトレドの街が小高い丘になってそびえ立つ。建物どうしが壁を成しながらあたかも敵から守りを固めるように見える。その昔ここは城壁の街で、スペインの首都でもあった。幾たびかの戦禍を乗り越え、幾重にも城壁が築かれ、それがこの街の独特な風景を形作る結果となったらしい。 その丘の一番高いところに位置するアルカサルを中心に、トレドの街を見上げるように川沿いを歩き、ある橋の手前まできた。たぶんこの橋は「トレド風景」のちょうど真ん中左下あたりに描かれている橋に違いない。橋の入口は城門のようになっていて、ここで当時の番兵たちは人の出入りを監視していたのだろうか。今は誰もいない開かれた城門をくぐり橋の真ん中で足を止めた。見下ろすとビリジアン色の川はゆっくりと流れている。 見上げると空はカンカン照りだったが、絵の中の空は違う。グレコの描いた「トレド風景」の空は不思議だ。暗い空に今にも雷が落ちるのか、それとも今から光が差すところなのか、どんよりとしているのか、いや、そうではない。確かに日が画面の右上から差し込んでいるかのような感じにも見受けられる。でもその日差しはこの日のようなものではない。 「トレド風景」に描かれる建物やその配置は描いた当時としても現実のものとは少々違うらしい。風景という中にグレコの理想とするトレドがいかに盛り込まれたのかはいろいろな受け取り方があるだろうが、それにしても、グレコがどの場所から描いたのかを想像すると、それはどこにもないように思えた。たぶん実際にどこかの場所からスケッチなどしたのだろうが、この絵から推察する場所がどこにも見あたらない。グレコはこの「トレド風景」の景色にはかなり創作を加えたはずだ。 メトロポリタンで初めて見た「トレド風景」の印象は意外というか、驚きというかグレコの印象がまるで変わった。グレコというより、その時代、後期ルネッサンスに活躍した画家たちの作品に対する取り組み方とも言うべきものだろうか。ルネッサンスというと、なにかどの作家も宗教画というひとくくりでその作品を見てしまいがちだ。いつも同じテーマで、同じモチーフがある。美術館の中を歩いているとつい足早に、たくさんの絵が掛けられている長い壁ならなおさら、一瞬に通りすぎでしまうことがある。何も見ていない状態でただ絵の前を通り過ぎただけだ。そんな中で思わず立ち止まってしまうのがグレコの風景画だった。 まっさきにセザンヌの風景画が思い浮かんだ。ここにはいわゆるルネッサンスで確立されたような遠近法は見あたらない。この時代のたいがいの風景画では、遠くにあるものは調子を弱められ、水墨画のような濃淡を与えられて奥行きを表すのがよく見かけられる。しかし、グレコはそのような方法をとっていない。かなり挑戦的に見える。なるほど、この時代でもこういう絵を描いていたわけだ。ルネッサンスという時代の深さをいつも新たな角度で眺めてみないと、ここにある作品たちは何も自分に響いてこない。 おおざっぱに見ると画面は大きく空と緑色の丘に分けられている。手前右から奥へ流れる川とそれを横切る画面左からの道、それは橋をぬけて街の建物へとつながっていく。橋から丘の上の建物には遠近の重なりがあるはずだが、グレコはこれをひとかたまりに続くように平板に描いている。街の背景となる空との境界は暗い雲が配置され、右上の雲の隙間からのぞく青空から光は街の中心地を照らしているのだろう。こうしてみるとこの絵の主題は光が差し込める大聖堂がトレドの象徴であり、これを天が見守ってくれているとでも解釈すればいいのだろうか。 しかし何よりも、シャープに描かれる建物とは対照的にそれを取り巻く丘や空の表現が新鮮だ。特に画面手前から真ん中あたりにかけての木や丘の表現はきわめて平板に描かれているが、画面全体の中で目はいろいろなところで遊ばされ、その空間を楽しむことができる。この絵の中ではすべての物は等質な「場」に描かれているように見える。もちろん光は右上から丘のてっぺんにある大聖堂やアルカサルを照らしている。それはある種「劇的な光」を演出するのだろうが、ベラスケスやカラバッジョとは明らかに違う。ここにはそのような明暗はない。むしろこの絵の中にある、画面に配置された”色”そのものが放つ”光”が感じられる。これがセザンヌを連想させるのだろうか。画面全体から醸し出す光。それはこの後300年近くたって獲得する近代の”光”なのだろうか。 グレコの絵にはそのような光を持つ作品が多数見受けられる。トレドで没した彼はまもなくして世間から完全に忘れ去られることになる。その作品の多くはもともと置いてあった教会の祭壇からはずされ、どこにあるともわからずじまいになる。その一例がSanto Domingo el Antiguoにある「聖母の被昇天」だ。Richard G. Mann著の「エルグレコとパトロンたち」によると、この聖母は当時トレドの司祭で街一番の実力者ドン・ディエゴの妻(?これもディエゴがその名声を利用したのか、彼女はすでにポルトガルで夫に先立たれた未亡人であったし、その後女帝イザベラから進められる多くの良縁と思われる結婚を断っていた)そのマリア・デ・シルバであるといわれている。彼女はポルトガルの女帝イザベルの侍女で、当時のトレドでは飛び抜けた美貌と徳行を兼ね備える敬虔なクリスチャンとして有名であったそうだ。 ドン・ディエゴは権力の座において大いにその名声を利用した。特に彼女の死後、庶民の尊敬を一心に集めていたマリアの弔いは彼にとって特別な意味を持っていたらしい。ディエゴはそのためにSanto Domingoの改修を行う。トレドだけでなく、当時のスペインにおいてこの教会は特別な場所だ。ここに埋葬されるということは、その一族において永遠の権力を意味する。マリアはそれをよくわかっていてここに自分を埋葬しないようにと、ディエゴに伝えていたのだろう。しかし、ディエゴ自身はここに、特に教会内部のメインの位置に埋葬されたかった。そのためマリアがまずここに埋葬される必要があった。 そのようなディエゴの思惑も知らず、修道院の祭壇を飾るトリプティク(3面構成による祭壇画)の制作を当時イタリアにいた36歳のエル・グレコがディエゴの息子に依頼される。グレコはイタリアでベネチア派ティントレットの流れを受け継ぐ画家だったが、主だった仕事はまだなかったらしい。 すぐさまトレドに赴いたグレコにとって、このことはメジャーな教会から依頼される初めてのチャンスだった。両手をいっぱいに広げ天を見上げる聖母マリアの姿は若き日のドナ・マリアを描いているのだろう。この絵のポーズは当時いろいろな議論の末決まったそうだが、グレコが描いた本物は現在シカゴ・アート・インスティテュートにある。トレドにあるのはその模写だ。 メインの絵が模写であったとしても両脇の聖人の絵はグレコの手によるによるものなので、ぜひ見てみたいと思っていた。入ってみると中はとても静かで、想像した通りにグレコを堪能できたのがうれしかった。帰りに教会の後部でこじんまりとおみやげを売っている老いた修道女がいた。彼女が教会の石の床を指さして何やら言っている。「グレーコ、ヒズ トム。」床にあけられた1メートル四方ほどのガラス張りの穴の向こうに石棺が見える。暗い床下の内部を見学者が見やすいようにと明かりが照らされていた。あこがれのグレコに会えた。まさかここに埋葬されているとは知らなかったので、修道女に何度か聞き直した。彼女は何度もうなずいていた。 ところで、もう一枚のグレコの風景画は当時グレコが住んでいたとされる家にある。この日訪れてみたら午後4時を過ぎておりすでに閉館していた。旅行者にとっては何とも早過ぎる閉館だと思ったが、ここは古都トレドだ。ゆったりした時間の流れを感じた。ぜひここにある風景画を見なくてはいけないという一心でいたわけだから、また次の日くることにした。こうやって2日がかりでもう一枚のグレコの風景画を見た。この1枚は建物の配置や地理的な位置関係など極力正確にトレドの街を描いたそうだ。グレコは依頼されてこの「トレド風景」を描いたという。 ルーブルにあるルーベンスの小さな風景画。たしか、ロンドンのナショナル・ギャラリーにも風景画があった。羊飼いが小さな川の橋を渡っているような光景だったと記憶する。
・・・・・・・・・・。 場所はかわって、ブリュッセルにあるルーベンスの工房。その工房がある屋敷は大きすぎず、かといってこじんまりとはしていない。そして、そこには美しい中庭があり、塀の前には石彫が並び、まわりにはいろいろな花や植物が植えられていたように思う。 2階ぐらいまで吹き抜けたような高さのあるスタジオはひょろ長い長方形をしている。その短辺の片方の壁に絵を掛け、もう片方の壁側からルーベンスは製作中の作品を眺めたのだそうな。眺める壁側にはちょうど中2階ぐらいの高さのバルコニーみたいなところがあって、そこからあれこれ工房の弟子たちに指示を出していたらしい。 ルーベンスといえば後期ルネッサンスの巨匠。パリのルーブル、ニューヨークのメトロポリタン、ワシントンのナショナル・ギャラリー、ボストン、ロンドン、オランダ、スペインマドリードのプラド、そして、ルーベンスの地元ブリュッセルにある王立美術館、これらには少なくとも10数点のルーベンスがあったと思う。 どこに行ってもルーベンスの偉大さに圧倒させられる。なかでも、王立美術館のルーベンスは圧巻だ。パリや、オランダ、ニューヨークで見たルーベンスは何だったんだと思うぐらい、これらのルーベンスを見ないとルーベンスを見たとはいえないような、大きな衝撃を受けた。 その大きさ、力強さ、構築力、深さなどなど、言葉では表せない絵の印象、そして、そこから湧き上がる感情を素直に認めるしかない。ルーベンスの印象がさらに大きく位置づけられるときだった。巨匠とはこのことかと。 ところで、ロンドンの風景画はこれらの作品群を見る前だったが、その後訪れたルーブルで1枚のルーベンスの小さな風景画が目にとまった。このときからこれらルーベンスの風景画がやたらと気になりだした。たぶん、それまでにもルーベンスの風景画はいくつか見ていたのだろうが、とりわけ気になるということはなかった。 偉大なルーベンスもこうやって風景画を描いてみたくなるんだ。などと勝手に想像しながら、しかし、よくよくこれらの絵を見るとこの風景はおそらく現実のものではない。風景の中に人物やら動物やらがいてなにか本の挿絵のような何かの話の一コマと思えるような絵だ。後から読んだ解説本には、聖書に出てくる話の一コマなどを描いた、なんてあったように思う。 絵の中の説教の内容はわからないが、これらの話が「風景画という主題」の中で展開されているわけだ。ふつう挿話や寓話ならこれらの絵はもっとその話が主題となるように描いても良さそうなものだ。 この時代にしては小さな絵、そして風景画、その中にほんとに小さな人物と動物が描かれている。よくよく見ないとその描かれている「話の主題」を見逃してしまうかもしれない。 なぜ、風景を描くのか?それは自分のために描いたものだから?依頼されて描くものではなく、この絵自体が全く自分のためのものだから、小さな画面で楽しみながら描いたのか。気ままに描いてそこに自分の感情的なイマジネーションを入れることができると感じていたのか。それとも、そんな難しいことは考えずにただ描いてみたかったのか。 風景画には不思議な力を感じる。風景画は決して現実の景色を表してはいない。というより、そんな風景画はおもしろくない。たとえ、現実の空間を描いてもそれが結果として残る作品の中には、景観としての正確さは必要ない。風景画は、現実にある景色の中で描写しそこにあるものを描いたはずだが、画家はその景色をあらためて作り直す。 いったい何が描かれているのか、それは何度も見るしかないのだろうが、ちょうどこのルーベンスの風景画を見たときに、ニューヨークのメトロポリタンにあるRyderのMoonlight Marineを思い出した。ライダーの絵はひっそりとある部屋の階段の途中の壁に掛かっていた。これもはじめはよく見逃していた絵だったが、あるとき突然ものすごく気になる絵になった。それ以来ライダーは自分の中ではルーベンスと同じくらい巨匠だ。 | カレンダー
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