忍者ブログ
旅日記
[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

建物は誰のもの?

  教会としてそのたたずまいをもう一度考えてほしいと思うような建物を多々見る。
これは誰がそうさせるのか?もちろん最終的に建物を管理する側にその責任があるのだろうが、まず、文化としての建物の位置づけをしっかりと認識したいものだ。

 悲惨な教会の一例として、札幌では宮の森にある教会だ。ステンドグラスが立派な由緒あるものだそうだが、その建物はあまりにも教会と呼ぶには俗な建築物だ。壁の一部はまさに港の倉庫の壁と一緒で、なんで突然こんなデザインになるんだろうと理解に苦しむ。

 東京ではある漫画家が赤白ボーダーの家を建てることに反対されているらしいが、当たり前だろう。自分の家だから自分で気に入ったデザインにして何が悪い?と思うのはよくわかるが、それが周りへもたらす影響もちゃんと責任を持つべきである。

 またいつだったか、京都で景観を損ねるような建物に規制を設けるというニュースを見た。ある夫婦は南フランス調の建物を希望と言うことで計画していたが、それがだめになるらしい。そもそも、京都という日本を代表する古都で南フランス調の家がほしいとはどんな発想なのか、住む場所を変えた方がいい。

 建物がそこに住む人間に与える影響は計り知れない物がある。たとえ通りかかりの旅行者であったとしても建物はそこの文化を表していると肌身で感じるものだ。

 つい先頃まで流行った、田舎に突如現れるテーマパーク。その中身には驚かされる物が多い。芦別市のカナディアンワールドもその一つだろう。なんでこんなところに「赤毛のアン」がテーマなのか。こういう発想は完全に内向きなもので、ここを外国人が訪れたらなんと思うだろうか?地元の人にとっても決して自慢して案内できるところではないだろう。こういう発想の行き着く先は内輪だけの満足を呼ぶ展開で、将来への希望をどこに感じたらいいのかわからない。事実、これらで成功した物はないだろう。ハウステンボスもこの例に漏れないと思う。

 我々はわざわざまがいものをここで体験したいと思うほど鎖国状態にはない。

 ステンドグラスの荘厳さも歴史とそれを支えてきたその地域の文化があってこそ価値があるはずだ。それをそっくり持ってきてステンドグラスを眺める内部だけきれいに化粧して、表は一応体裁だけはなんとか整えればよいという風潮にはっきりと「NO」と言いたい。

 こういうのは文化にはなり得ない。レベルとして赤白ボーダーの家と同じである。そこでは反対する住人がいるだけでもまだましで、ここにはそのような反論がないのが最悪だ。

 もう一つ、教会を取り上げると神宮裏参道の角にある教会。

 もともとは円形と矩形を組み合わせたモダンな建築であった。なかなかよい建物で気に入っていたが、いつの日かその入口にはバロック?ロココ?はたまたギリシャ神殿風?とでも言うのだろうか西洋風のアーケード屋根がついた。これもそのセンスを疑う。

 このようなセンスを建築家達はどのように了解したのだろうか?せっかくの建物が台無しであるし。このような建築物は後生になっても文化とは呼べない。

 そういう俗悪な建築物の中で生活していると自分の様々な文化に対する感覚が麻痺するのではないかと思うぐらいだ。中国では各地のテーマパークがメディアでさんざん取り上げられている。それらのほとんどはディズニーや日本のアニメなどのキャラクターを模倣した物を無断で使う、いわゆる「パクリランド」「パクリパーク」だ。ここにあるものは偽物だとわかっていてみんなが楽しむ。そして、ここで楽しんで何が悪いのかと主張する。

 この文化レベルは全く同じレベルではないか。

 建物としての脈絡も何もない物を建てて何となく今風の喜ばれる好みと雰囲気だけでよしとするそのセンス。あまりにも世間に迎合しすぎる文化レベル。それが今こういう形で教会という一番対角線上にあるような物に押しつけられるのは何とも皮肉だし、我々の文化レベルを最も良く示す街の風景になっている。


PR
コメントを投稿する

HN
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事のトラックバックURL:
カレンダー

03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
フリーエリア

最新CM

最新TB

プロフィール

HN:
xsharaku
性別:
非公開
バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

忍者アド

アクセス解析

FX NEWS


-外国為替-